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貞 心 短 信
一龍斎貞心でございます。

今年も残す処、一ヶ月あまり。夏から冬にと云った印象の年でしたね。

一昨年、150回で幕を下ろした貞心の会。
来年、2月19日(水)に「講釈場・なかの亭」として開催致します。
詳細は出演情報をご覧ください。


出演情報

貞心一門 講談ゼミナール

【日にち】毎月 第一火曜日
【開演】13:30【木戸銭】1500円
【出演】貞昌、貞介、貞司、貞奈、貞寿、貞心
※予告無く変更になることがございます
【場所】神保町・らくごカフェ【住所】千代田区神田神保町2丁目3−5
【予約・問合せ】03-6268-9818(平日12~18時)
【メール】rakugocafe@hotmail.co.jp (らくごカフェ)

講談協会定席 

       12月1日(日)    午後一時開演
                 津の守講談会
                  津の守講談会、12月は赤穂義士伝の特集が開催されます。 
           貞心は1日に「忠臣・二度目の清書」でトリを務めますので、皆様のご来席お待ち致しております

        一龍斎貞心「講釈場・なかの亭」

令和7年2月19日(水) 
なかの芸能小劇場 午後6時開演木戸 3000円
12月にチケット発売されます
貞心は「亀甲縞」「名人小団次」の二席。ゲストに漫談のぴろき師が出演。
なかの芸能小劇場は、定員110名の小さなホールですが、とても見やすい会場です。                                                                                                                            中央線中野駅から歩いて3・4分の処です、中野ブロードウエイの隣です。

プロフィール

ご挨拶

定席や独演会など高座に出演する傍ら、各地の町興しイベントなどで構成・ナレーションを担当するなど、幅広く活動。
また、旅行関係の仕事も数多く手がけて、観光コースの設定や観光バスに乗車する講釈師ガイドの草分的存在に。
最近では、日常の身近な所で使われている“言葉・道具・習慣"等の起源・意味など「江戸庶民文化の裏表」を判りやすく、面白くご紹介する「カルチャー講談」で、大変好評を得ております。
 
【 プロフィール】

昭和17年:東京都豊島区に生まれる
昭和31年:劇団「こまどり」入団
昭和32年:映画「異母兄弟」に次男・剛次郎役出演
昭和36年:この間、テレビ・ラジオなど多数出演
      ドラマ「若い季節」「おいらの町」(NHK)
             「ピッキーちゃん」(TBS)に等に多数出演
            「こまどり」退団駒澤大学在学。
              授業より演劇部に夢中になる

昭和41年:劇団「造形」入団
昭和44年:「造形」退団
昭和45年:六代目・一龍斎貞丈師に師事、
              一龍斎貞司を名乗る
昭和49年:二つ目に昇進
昭和55年:真打昇進、貞心と改める。
     (“心"を使った「貞心」は初代)

昭和56年:中山道を昔の旅姿で歩き、その写真をスライ                   ドを投影しつつ中仙道に纏わる話をした         【中山道講釈紀行】が、同年度文化庁芸術祭優秀賞受賞。

昭和62年:カルチャー講談を始める。
平成7年:【雪女幻想】を新宿アルタにて初演(尺八の佃一  生・佃康史さんとのコラボレーション、以降各地を巡演)
平成12年:【夢幻抄Ⅱ・玉菊燈籠】で同年度文化庁芸術祭優秀賞受賞。(乙女文楽の坂本真奈美さんに花魁「玉菊」を演じて頂く)
令和3年 講談協会常任理事に就任

【所属】
講談協会
住所:〒110-0005 東京都台東区上野5-5-10‐503

【役職】
講談協会常任理事

 【賞】
昭和56年 文化庁芸術祭優秀賞 【中山道講釈紀行】
平成12年 文化庁芸術祭優秀賞 【夢幻抄Ⅱ】

 【貞心の趣味】
野球、ゴルフ、テニス、スキー、カメラ(下手の横好き)、

 【貞心の著書】
「講釈 江戸史跡めぐり」

 【貞心の弟子】
一龍斎 貞寿
一龍斎 貞奈
一龍斎 貞司
一龍斎 貞介
一龍斎 貞昌

読物

・「赤穂義士伝」「玉菊燈籠」「は組小町」「八百蔵吉五郎」ほか
・芝居話「中村仲蔵」「沢村淀五郎」「市川小団次」等
・講釈師列伝として「東玉と伯円」「石川一夢」「次郎長と伯山」等
・尺八や鳴物との共演による「雪女幻想」
・乙女文楽との共演による「玉菊燈籠(写真:上)」 
・スライドを使用する「東海道講釈紀行」「中山道講釈紀行」
・立体怪談「腕」「お紺殺し」「四谷怪談」等

講演

・カルチャー講談

 日本には数々の素晴らしい文化が伝えられています。
しかし、現在ではその多くが忘れられ、失われようとしております。
貞心は、普段何気なく使っている道具や言葉・習慣、そして衣食住などの語源・起源を、「暮らしに生きる江戸文化」と題して面白おかしく、ちょっぴり為になる講演を行っています。「還暦」とはどう云ういう意味か? 只見の客をサクラと言うのはどうして?・・・などなど皆様もカルチャー講談で、素晴らしき日本の伝統文化を見直してみませんか。

講  談


 講談は講談師(明治以前は講釈師と言った)と呼ばれる人が演じる話芸。
演じるネタは軍記物(太平記、真田軍記など)や政談(大岡裁きなど)や、有名な事件等の歴史物語。
また庶民の暮らしを描いた世話物、滑稽話等など。
 講談は落語よりも古く、「500年」という世界的に見ても大変長い歴史を持っています。
張扇(はりおうぎ)と呼ばれる物で釈台を叩きながらメリハリをつけて話を際立たせ、調子良く語り進める「修羅場調」という独自のリズムがあるのが特徴です。 江戸の末期から明治にかけて、全盛期には500人ほどの講談師がいました。
 現在、講談師は関東関西合わせて約100人ほどと全盛期と比べるとその数は減りましたが、少しずつ人気が盛り返し活気を取り戻しつつあります。一龍斎貞心門下には四名の弟子がおります。若手の成長ぶりも楽しみにして頂きつつ、ぜひ講談会へお越しください。

貞心ライブラリー


                     貞心ライブラリー
写真を掲載しておりましたが、中々順送りが出来ず、後からの写真が下に行くものですから見るのに手間取ることになっておりました。
大変アナログですが、一枚づつ順送りする方法を見つけましたので、これからは新しいものを上に掲載できると思いますので、是非ご覧になってください。

今回から2002年と少し古いですが、インド洋クルーズのスナップをご紹介いたします。中々通常の観光では行かない、珍しい処ばかりです。

インド洋の旅・「レ、ユニオン島」

噴火口

拡大して撮った写真です。

よ~く見てください、その周りを歩いている人が居るじゃありませんか。普段は此処まで人がいけるんですね。
その山がちょくちょく噴火するんです。レ・ユニオン島、恐るべし。

外輪山

外輪山の淵まで来て下車。見渡すと、左の方の山影まで外輪山が続いてます。右の山が噴火口に続くのかなと思いましたが、何と目の前いたるところが噴火口なんです。一面溶岩が固まっているところです。
左の黒く丸い処も噴火口。拡大します。

火山島

やがてクネクネと崖を降りていくと、広い砂漠みたいな所。道路の長さなどからご想像ください。
此れが火口かと思ったら、飛んでもない、一番奥の山が外輪山。その向こうが火口でした。

火山島

小さな島なのに、 途中には大小様々な渓谷があり、深い・・すみません、深い渓谷が分かる、立て版が収まりませんので、ご容赦を。

火山島

ユニオン島観光のバスツアーに加わり、途中休憩のときに見かけた、溶岩流の写真です。
これを生で見たかったです。

火山島

前にも申しましたが、レ・ユニオン島は火山で生まれた島です。何よりも見たい!。実は私の行きます直前、噴火のニュースが入りました。これは楽しみだ・・と思ってましたら、着いた時には終息してたんです。残念。
早々に見つけたのは、噴火をプリントしたTシャツが売られてました。

サン・ドニ

アフリカの方が近い島ですが、何処となくインド・スリランカなど南アジア風の趣の街並み。
歩いていると、何処もかしこも店を閉め始めるじゃありませんか。ありゃりゃと慌てるとシェスタ・・そう昼休みの休憩の習慣でした。結果何も買えませんでした。

レ・ユニオン

レ・ユニオンは火山島。見える山肌はほとんど岩山の様でしたね。
海岸通りから内陸寄りのメインストリートに向かうと・・。



レ・ユニオン

グランド・レ・ユニオンに着岸、約30分ほど移動して首都、サン・ドニの町へ。
バスを降りて気が付くと、山に麦藁帽子を被せた様な雲が。バックからカメラを取り出してるうちに、形が崩れて残念。真ん中が凹んでホントに防止の様でした。

レ・ユニオン

インド洋の中ほど、マダガスカルの東にある一周約200㌔の火山島。
フランス領で、フランスからの避暑客で溢れてました。

セーシェル美人

見学中、突然ザァーッと降りだしたスコール。流石は南国楚々の凄い事。慌てて売店らしき処に駆け込みましたが品物らしき物はほんの少しで・・何やら美女二人。
一寸間に割り込みました。

植物園

港のすぐ近くに植物園がありましたので、入ってみたけど殆ど人気無し。
目に付いたのが甲羅の長さ1メートルくらいあるゾウガメ。天然記念物として保護してるそうです。
後は大木の上の方にはこれまた大きな蝙蝠。フルーツバッドがぶら下がってましたね。

美女と野獣

上陸後、街をうろつきながら一山超えた海岸へ、偶々歩いてきた二人。浮かんだ言葉が美女と野獣。スミマセン。

セーシェル島の夜明け

マラッカ海峡を抜け、インド洋をモルジブの島々を見たり西へ航海。
夜明け前にアフリカ大陸の東より、セーシェル島の沖へ、ふと見るとまだ太陽が水平線の下、慌てて撮った一枚。直ぐに空の色が変わってました。

ペナン島

早速、市内の二十㍍位ある涅槃佛など、観光しているとあの高い建物に行き当たり一番上が展望室と聞いたからには行かずばなるまいと、最上階へ。
何と港に停泊中のにっぽん丸が見えるじゃありませんか。その向こうがマレーシア本土。

ペナン島

出港翌日、マレーシアのペナン島に到着。本土とは橋でつながっている島で、古い町並みの中に一際高いビルが目立ちます。
当時はフィルムでしたので、スキャンした為め多少画像が粗いのはご容赦を。

シンガポール

翌日「にっぽん丸」に乗船。
セントーサ島の前にある港に停泊のにっぽん丸。
後ろの船はシンガポールと香港を往復しているスターバーゴ。にっぽん丸もかなり大きいんですけどね。
さぁ、いよいよ出港です。

シンガポール

2002年1月17日成田を出発、一路、イャ一空シンガポールへ。
今回ご一緒した方は、松島トモ子さん、ネイチャーカメラマンの吉野氏やピアニスト、マネージャーなど総勢五名(すみません無断で掲載いたしました)。
到着したのが夕刻なので、その晩は市内で食事の一枚

小見出し

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インド編

①インド、オールドゴアの旅
2008年4月、インドのインドの南西、下の方の左側。ゴア州のバスコダ・ガマ港に入港。バスで1時間弱でパナジの街へ、ゴア州の州都です。もともとはポルトガルの植民地という事もあってカラフルな街並みでした。
②パナジへの道
この辺りは何ともインドの田舎とう言う感じでしたね。
③同じく道中
前の写真と共にバスの中からショットなので、多少ボケはご容赦を。
対向車なので間に合わず写真はありませんが、トラックなどは荷物の積みすぎで傾いて走ってるのもいました。
  やっぱりインドだ。と思いました。
④パナジ
海沿いの道から、橋を渡ってパナジの街へ。
まず目についたのが、カラフルな家々。ポルトガルの影響だそうで、青や緑、ピンク色など派手な家ですが、結構背の高い樹々が生い茂って、緑あふれる街です。
⑤コンセプションチャーチ
パナジのと云うより、ゴアのシンボルともいえる教会。
約500年ほど前に建てられたそうです。夜間のライトアップもいいそうですよ。
正式にはイマキュレート、コンセプション、チャーチと云うそうです
⑥街中の屋台
数は多くなかったですが、所々で洒落た屋台が出てました。
多分動いたら、崩れるだろうと思いましたがね。
⑦オールドゴア~その1~
パナジの街から、バスで30分位だったかしら、オールドゴアと云う町・・村?。
南国特有の大樹が多く、その木の下の売店と云うよりは、茶店といった感じのいい処でした。
⑧オールドゴア~その2~
大きな公園を中心として、修道院や教会等が集まってました。
暑い国ですが、此の木の下では中々冷んやりした好いとこでしたよ。

⑨聖フランシス教会
右の建物が、ポルトガル人よって16世紀にたてられたカテドラル。左が聖フランシス教会。
この教会でその時は気が付きませんでしたが、不思議なことが起きたんです。
⑩オーブ
この聖フランシス教会に入り、堂内を巡りながら撮った一枚。
よーく見てください、オーブのような白いものが見られます。大きいのから小さいモノまで無数に映ってました。拡大して数えようと思いましたが、数が多すぎて数えられませんでした。
よく見ると中に、何か模様が見えますので、私は良いものとして保存してます。
⑪オーブ
この写真は少し後ろに下がって、お堂を出る直前に取りました。同じ場所ですよ、同じカメラですよ、こちらには何も映ってません。
後で見た時に、エェッと気が付いた次第。
⑫ボンジェズ教会
聖フランシス教会の向かい側にありました、ボジェズ教会。
全体がレンガでできた教会ですが、中に入って説明聞いて
これまたエェッとびっくり。この人を知らない人は日本人は
居ないと思う人に出会いました。
⑬フランシスコ・ザビエル
ボンジェス教会の祭壇の横、5・6メートル高さの所に棺が安置されてましたが、何とこれがフランシスコ・ザビエルのミイラなんだそうです。横がガラス張りになって微かに顔らしきものが見えました。まさかインドの田舎でザビエルに会うことが出来るとは無思いもしませんでしたね。
暗い中で、フラッシュ無しの撮影なので、少しボケてます。
⑭フランシスコ・ザビエル
この三枚共に同じザビエルの棺ですが、堂内でしたのでフラッシュを使わず、解放ですのでブレがありますが、雰囲気はおわかりかと思います。
普段は高いところですが、10年毎に下におろして、一般の方々も拝観できるようになってるそうです。
⑮フランシスコ・ザビエル
なぜザビエルがここに安置されているのか、元々はスペインの出身ですが、インドのゴアをベースに布教活動をしてましたが、その後日本に普及に着た後、一度戻って今度は中国に向かう途中インドネシアで亡くなったそうで、そこに埋葬されましたが、後にゴアに戻されたとのことでした。
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アフリカ編

1、サファガの港へ入港
2008年4月26日、海賊騒動のさなかソマリア沖を無事通過、紅海を北上、スエズ運河の手前、サフアガの港に入港(左)。ここからバスに乗り込み、ルクソールへ向けて砂漠の中を真西へ約200㌔、3時間ほどの旅。
2、岩山の間を行くコンボイ
港の街からバスを何台も連ねて、暫くは岩山の間を走りましたが、先頭と最後尾にジープが付きます。これにはライフルを持った兵士(警官)が乗っていて、コンボイを警護するんですね。そしてバス一台に一人づつツーリストポリスが乗り込んでくれました。大分前ですがハトシェプスト葬祭殿での銃撃事件を思い出して些か緊張しましたね。
3、サービスエリア
途中、砂漠の中に休憩所。と云っても唯トイレがあるだけの簡単なエリアで一休み。すると何処からともなくラクダやロバを曳いた人たちがお土産売りに現れたんです。お土産と云っても後ろに見えるような衣類やジュースくらいですがね。
4、美女
一枚おまけ、
ほとんど男の人でしたが、中にロバを連れた女性が一人。
見ると黒目がちのエキゾチックな美女!。思わずカメラを向けると、ジッと見つめてくれました。
5、キナの街
それから約1時間で、ナイル川沿いのキナの街へ。
ナイルに沿って南下・・いや上流に行くのですから南上だ。
6、泥レンガ
ナイル川の両側数キロだけは水が豊富で木々や畑が見られます。家はほとんどが泥で作ったレンガの様でしたね。    意外と涼しいのかも知れません。
   そしていよいよルクソールのまちへ到着します。
7、カルナック神殿

先ず最初に尋ねたのが「カルナック神殿」。
約3500年前頃にエジプトのファラオたちに依って造られた神殿ですが、何より驚かせられるのがその大きさと高さでした。
最初の壁の高い事、30㍍以上あるでしょうね。

8、カルナック神殿
写真が立なので前後しますが、奥へ進むと見上げるばかりの大列柱を3枚ご覧ください。
どうしてこんな巨大な物を作れたんでしょうかね。
9、カルナック神殿、石柱
その柱に刻まれた模様の数々。大列柱室には134本の柱があるそうです。
残念ながら読み取れませんが、意味が分かったら面白いでしょうね。

10、スフィンクス参道
改めて、ゲートから奥に進むとズラーっと並んだおなじみのスフィンクス群・・待てよ、何かが違うなとよく見ると、顔が羊になってました。
そして第一塔門から中に、奥に行くにしたがって時代は遡っていくそうです。
11、タハルコ王キオスク
中に入ると、タハルコ王のキオスクという大きな石柱が一本、右寄りの上にお皿のようなものが乗っている柱。
当時は何本も並んでたのでしょうが、他のは途中までしか残ってませんでした。
キオスクと云っても売店ではありません。

12、ヒエログリフ
ラムセス2世の巨像(写真のサイズが違うので後ほど)の前を通り、大列柱室へ。
8・9のような柱が並んでますが、全体に彫られたヒエログリフ(古代エジプトで使われていた3種の文字の一つ)。
近くに見えますが20㍍以上高い、柱の上の方をズームで撮りました
13、ラムセス2世像

最初の門を入ると、まず目につくのが巨大なラムセス2世の像です。ラムセス2世の像は結構数多く建てられているようで、特に南部のアブシンベル神殿には4体の像があるのが知られてますね。
14、ハトシェプスト
次に進むと大列柱室、そして順にハトシェプスト女王のオベリスク、高さが28㍍の花崗岩出来てるそうです。その奥にトトメス3世の宮殿と続きます、この辺りは大分崩れてますが、それにしてもよくぞ運んだと思うばかりの石がゴロゴロです。
15、王家の谷
オベリスクの前から西を望むと、大列柱の間から見えた岩山。この山の向こう側が王家の谷。手前にハトシェプスト葬祭殿があり、又その手前がナイル川という望遠で撮った1枚です。
16、スカラベ
カルナック神殿の最後にスカラベを忘れてはいけませんね。スカラベは神聖なものとして、いろいろな処に顔を出しますが、カルナックのスカラベが最大でしょう。
この周りを7回回ると幸せになると云われてるので、私も7回、回ってきましたよ、だから多分幸せなんでしょう。
17、ルクソール神殿
処で、我々スタッフはルクソールについてからまず食事でしたが、エジプト料理ではなくマクドナルドで簡単にすませてからカルナック神殿。そしてルクソール神殿を見学。
18、ルクソール神殿
こちらはアメンホテプ3世・ラムセス2世やツタンカーメンなどが造ったと云われる神殿ですが、見たところではカルナック神殿より崩壊が進んでいる様に見えましたね。
それにしても三千年以上昔の建造物ですから只々凄いの一言。
19、ナイル川
いよいよナイル川を下に見えるような小舟で渡ります。
川幅は300㍍から400くらいでしようかね、10分くらいでした。川岸には3層のホテルシップが浮かび、満々として流れるナイルの水はとても青かったが印象に残ってます。
20、岩穴住居
西岸に着き、ハトシェプスト葬祭殿に向かう途中に見えた岩山の穴。ガイドの話では、昔は墓の盗掘をする人たちの住まいだったそうです。
後ろの岩山の向こうが王家の谷、右の山裾の方が葬祭殿になります。
21、ハトシェプスト葬祭
ハトシェプストはエジプト最初の女王。夫のトトメス2世亡き後、義理の息子になるトトメス3世に暗殺されたとされています。
それにしても後ろの岩峰、葬祭殿に居る人と比較してみてください、凄いところに作られましたね。。
22、壁画
葬祭殿に入ると目に付いた色鮮やかな壁画、とても3500年くらい昔に描かれたモノとは思えませんね。暫く見とれました。
23、壁画
同じく壁画ですが、おそらく色々物語が書かれてるんでしょうね、トトメス3世が幼かったので代わって収めていたそうですが公務の時は男装して髭を付けてたと云われてます。
24、葬祭殿から
おまけ、葬祭殿の最上階からの岩山。すごい迫力でした。
24、王家の谷
いよいよ王家の谷にやってきました、先ず入口にあるゲストセンターで墓の制作方法や、地下にどのように墓があるのかという模型など見てから出発。
25、王家の谷
カートに乗って谷の奥に・・と云ってもそれほど遠くはないんですけどね。500㍍も無いようでした。
でも暑かったのでたすかりましたね。

26、王家の谷
歩いてもいかれる距離です。
正面右の山がピラミッドに似ている処から、ここに王家の墓を造ったとと云う説もあるそうです。あの山裾に60以上の墓が造られてます。
27、王家の谷
一本の木も緑もない谷合に並ぶ墓、と云っても全部地下です。
トトメス1世が自分の墓を隠すためにここに造ったのが始まりだそうですが、そのくらい墓泥棒が多かったんですね。
以来ラムセス1世から10世や、ハトシェプスト、アイなどの墓があります。

28、ツタンカーメン墓
その中で何といっても唯一盗掘を免れた墓がツタンカーメンです。残念ながら中は撮影禁止、入り口でカメラを預け15㍍くらい歩くと、何とそこにツタンカーメンが寝ているじゃありませんか。ガラスケースの中に本物のツタンカーメンのミイラですよ。意外と小さかったですね。ハワードカーターが発掘後にツタンカーメンのミイラは此処に戻せとの遺言をしたそうです。
29、ハワード カーター
ハワードカーターはイングランドの考古学者で、1922年にツタンカーメンの墓を発見しました。驚くほどの埋葬品の数々が発見され、そのほとんどがカイロの博物館に収蔵されてますがミイラだけが戻されました。王家の谷から帰る途中、山の上にあった建物、発掘中ハワードカーターが住んでいた家だそうです。
30、メムノンの巨像
ナイル川を通船で渡ると、ほどなくして広い空き地に大きな像が二つ。高さ18㍍。
本当はアメンホテプ3世の像だが、なぜかメムノンと呼ばれてます。なんだかギリシャ神話に関係してるようだが、私にはよく分かりません。
31、ナイル河畔
ナイル川河畔のホテルで夕食を済ませましたが、なかなか立派なリゾートホテルでした。
プールがあり、ナイル川の向こう山の右奥の方が王家の谷になります。
次の、夕陽に染まるルクソール神殿に別れを告げ。これから約3時間、夜の砂漠を走ります

32、夕陽のルクソール神殿
その車中から見た星空のものすごい事。空気は乾燥、回り何百キロか街の明かりもなく、地平線から地平線までと云ってもいい程の満天の星。あんな星空見た事がありません。残念なのは夜間は危険と云うので途中下車はなし、警官の交代だけ。写真も取れませんでした。星空観賞は砂漠に限ります。
ルクソールを後に、次回からカイロをご紹介します
1、スエズ港
サファガを出てスエズ湾の奥、スエズ港外に停船、ここで一晩。翌朝には多くの船が停船していました。
スエズ運河は朝、10隻前後の船団を組んで、紅海側と地中海側から同時に出発、途中ですれ違う方式の運河なんです。乾燥した大地に大きなつむじ風が舞う中いよいよ運河に入ります。
2、スエズ運河入口
先ずにっぽん丸の前に行くコンテナ船。
間隔は500メートルくらい離れてますかね、大型船が続いていきます。
運河は全長は約200㌔近く、10時間ほどかけていきます。
3、コンテナ船団
そして後ろにも続々と続いてきます。
処でスエズ運河の通行料ってどのくらい掛かると思いますか。
大きさや重さ、船の種類によって大分差がありますが、2・3万トンくらいだと二千万以上かかるらしいですよ。
4、アフリカ大陸側
此処の処することが多く、中々更新できませんでした。ご容赦を。
さて、運河を航行していくと、左側がアフリカ大陸、右側がシナイ半島側。左にはヤシの木などで囲まれた家々が見られ、街だなと云うのが分かります。
5、シナイ半島側
右側はシナイ半島側、もちろんエジプトですが見渡す限り荒涼とした砂漠地帯。所々に監視所がありますが閑散としてました。
6、歓迎のご挨拶
一方左、本土側の監視所では銃を携えてはいますが、ご覧のように😊して手を振ってくれたり、また所々にwelcome Egyptと石を並べてあったりと、歓迎ムードでした。
ただし100㍍くらい離れてますので、肉眼では顔まで見えませんでしたけど。

7、グレートビター湖
やがて運河途中の広々とした、グレートビター湖と云うところに出ます。この辺りからは沿岸のあちらこちらがリゾート地になっているようでした。
8、リゾート
何枚か写真はありますが、先ずは1枚。
調べるとホテルやビラなどがかなりあるようです。
9、フェリー&可動橋
長い運河、そして幅も広いところもあり、所々にフェリーや可動橋がありますが、それにしても大きいですね。
車が通るものもあれば、列車が渡るものなど色々でした。
そんな一つに。
10、スエズ運河橋
スエズ運河橋。「エジプト―日本友好橋」と云われる橋で、総費用の60%、135億円を日本が援助して、2001年10月に開通しました。
主塔の高さが154㍍。橋桁の高さが川面から70M。という事でスエズ運河は68M以上の高さの船は通行できない規定だそうです。

11、アプローチ
橋の全長3、9K㌔。70㍍まで上がるためには、両側に1、8K㌔のアプローチが必要なんだそうです。
12、橋の下通過
いよいよ橋の下を潜ります。見ると日の丸とエジプトの国旗。外国で見る日の丸。一寸うれしかったですね。
通過して振り返ると、左右に伸びた橋脚(11の写真)が両側に。それにしてもでかい!!。
13、砂漠を行く船
そしてスエズ運河も半ばを過ぎた時 ! 。なんと砂漠の砂の上を大きな船が進んで行くではありませんか・・こんな事があるのか。
これがスエズ運河名物と云われる、砂漠をいく船だったんです。

14、砂漠を行く船
実は、ここで地中海側から来た船とすれ違うのですが、向こう側にも航路があって、云ってみれば登り下りのすれ違いという訳です。間が中央分離帯の代わりに砂丘が続いている状態ですね。知って見れば何という事もないのですが、一舜エッと驚きました。
15、ポートサイド
やがてスエズ運河も終わり、いよいよ地中海に入りました。その出口の街がポートサイドで、私はここで下船。
此処からカイロに出て帰国という訳ですが、そのカイロにはピラミッドがありますよね。その写真はこの後で。
1、ポートサイド
スエズ運河の旅も終わり、ポートサイドで下船。
私の他、交代するスタッフやバンドの方々とバスでカイロへ向かいますが、運河を横断するフェリーや街中をを見ると朝の通勤時、やはり渋滞してました。
2、警護
出発するときにふと前を見ると、三人の兵士(警官)が乗った小さなバンが先行してくれてます。10人ほど乗ったマイクバスですが、それでも警備するのかと思うと、安心すると同時に心配でもありましたね。
3、友好橋
走り出してすぐに、左側に見えたのが「エジプト・日本友好橋」。エッ、昨日見た橋だよな・・と考えると、そうかポートサイドからカイロへは少し戻るんだと気が付きました。この後だんだん運河から離れて内陸のカイロへ向かいます。
それにしても大きな橋でした。
4、交代
やがて、途中で一時停車。見ると警護の車両の交代でした。
やたらとこういう光景を見ました、やはり危険なんでしょうか。実は我々の乗ったマイクロにもツーリストポリスが一人乗っているんです。ジャン、ポール・ベルモンド似のカッコイイ男が、後ほど紹介しますね。
5、車中から 
途中、いろいろな車を見ましたけど、こんな光景をよく見ました。これはバス替わりに、いやバスなのかな?。道端に待ってる人が手を挙げては止まる車に乗り込んでいました。
6、カイロ
やがてカイロに到着、高速道路の車中から見たカイロの市街です。なんとなく雑然してましたね。
そしてエジプト考古学博物館へ。ツタンカーメンの黄金のマスクやら歴代ファラオのミイラやら数々の展示物を見ることが出来ましたが、残念ながらここもカメラは禁止。入館時に預けまので写真は割愛。

7、ピラミッド
年々することが遅くなりまして、ごめんなさい。
暫く手を付けられませんでした。ご容赦を。

さてカイロの街は雑然としてましたが、街中ほぼどこからでも
特に少し高いところ・・高速などからピラミッドを見ることが出来ました。
8、ピラミッド
街中からマイクロで移動しましたが15分くらいでしょうか、近ずくに連れてだんだん大きくなるピラミッド。これは車中から望遠でのショットです。
9、ピラミッド
高速を降りてギザの街に入るともう目の前、民家の向こうにクフ王のピラミッドが。流石に興奮してきました。
10、クフ王のピラミッド
前に立つといや大きいですね。
テレビでは見てましたが、まさかクフ王のピラミッドに入るなどとは思いもしてませんでした。感激!!。
ですが内部は写真禁止・・残念。もう一つエジプト考古学博物館も館内写真禁止。残念ですがご紹介できません。
でもツタンカーメンの黄金のマスクなど、いろいろ見てきました。

11、スフィンクス
スフィンクスの後ろに見えた、クフ王と隣にあるカフラ王のピラミッド。おなじみの場所ですね。
12、ギザの丘からカイロ方面
三つのピラミッド越しにカイロ方面が望めました。前は砂漠が広がってます。
13、ジャンポールベルモンド?
4でお話ししましたジャン・ポールベルモンド似のツーリストポリス。
ポートサイドから同行してくれたんですが、言葉が通じないのに何故か片言でやり取り、このポリス写真では分かりませんが腰のあたりがやけに膨れてるんです。聞いたら自動小銃を持ってました。見せてくれと云ったら流石に断られましたけどね。
14、カイロ上空
という訳で、エジプトを後にカイロ空港から日本に向けて離陸。その直後機内がオレンジ色に染まりました。窓の外を見ると上も下も一面のオレンジ色。慌ててカメラを。
離陸をしたのが夕方、夕陽が下の砂漠に反射して、より夕焼けの色が濃くなったのだと思いますが、暫くオレンジの光に包まれて岐路に着きました。幻想的でした。
さてこの後は・・・なるべく珍しい処へご案内。
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